グローバリゼーションと労働

ちょっと考える。

そもそも、リカードの比較優位論は完全雇用を想定している(と思われる)。

もうちょっと譲歩すれば、少なくとも「長期」には、貿易によって「余った」国内の労働力は、どこかの部門に吸収されると想定している(はずだ)。

だから、総生産物の増加なり何なりで、貿易は「世界経済の厚生」を高めると考える。ミクロの概念を世界経済という超マクロの概念に適応している(ことに本質的な誤りはないのか)。

誤解をおそれず、やや砕けた言い方をすれば、経済の「パイを拡大すること」が、貿易の役目である(といえるだろう)。*1

貿易の見方をめぐっては、いくつかの有力な批判がありうる。

例えば、分業パターンの決定は、自発的な交換に基づくのではなく、(先進国の)政治的な意図を反映していたことが指摘される(本山,1972,参照)

また、「長期には皆死んでしまう」と、短期の経済政策を問題にしたのはケインズであるが、為替レートの「適切な」調整がなければ、貿易利益なんていう概念は微妙極まりないものとなる(田淵,2006,参照)


さて、「労働」だが、経済のグローバリゼーションが進むと、「調整」の過程が加速する(ことが一般的だろう。因果関係は直線的ではないが)。離農する人、リストラされる人、などなど*2

その過程で、労働水準を維持するとか、雇用を守るとかは、政策的な問題として出てくる。

(続く…)

*1:戦略的通商政策のような議論では、「パイの分捕り」具合が、論点となる

*2:また、国際的な企業間競争の激化は、労働基準を低め、環境基準をルーズなものにする、あるいはそもそも基準が低いところへプラントを移そうとするかもしれない。実証的には必ずしも支持されていないが。