再読

グローバリゼーションと発展途上国

グローバリゼーションと発展途上国

昨日の夜(といっても深夜)に序章と第一章(「WTO体制と発展途上国」)を再読。
2003年に合評・報告をした箇所である。

本章では、WTO成立の意義を、70年代までに確立した世界経済の構造認識(南=周辺と北=中心という根本的構造的異質性=差異を内包した世界経済認識)の転換(南北は単なる時間的遅れを伴う量的相違にすぎないという単線的・平面的世界経済認識への後退=逆転)と捉えた。そして、先進諸国の自由化に対するダブル・スタンダードを指摘し、WTO体制下で発展途上国は、かつて先進国がもつことができた、また途上国がそれ以前のより緩やかなガット体制下でもっていた独自の発展政策達成手段を喪失した、と論じている。(序章、p.3)

投資ルールや競争政策や政府調達は、もともと貿易問題ではないのではないか、まして、既存協定に問題があるのにそれを再検討もしないで、どうして新たなテーマの導入が問題になるのか、というのが途上国の主張である。他方、先進国の狙いは、WTOの強制力のある紛争解決メカニズムを活用して、途上国経済の門戸開放を迫るために、これらのテーマをWTOに導入させようというものである。労働・環境基準も、途上国から見れば、ILOやMEAsがあるではないか、先進国は途上国製品を締め出す保護主義の手段に利用しようとしている、となる。他方で、労働・環境基準を満たしていない国からの輸入を規制せよという先進国の労働組合や環境NGOの主張は、貿易商品・サービスの質を問わないWTO自由貿易論の問題性を浮き彫りにする。この問題は、貿易の技術的障害に関する協定(TBTいわゆるスタンダード協定)その他でのPPMにかかわる問題でもある。TBTについては、基準・規格のハーモナイゼーションと称する低位平準化の問題も先進国NGOによって指摘されている。(第1章、p.58)

この文章はとりたててどうこうというわけではないが、最近のサーベイによって頭の中が急激に整理されてきた。これまで小生がやってきたことは間違いではなかった。