再読

今年一年を締めくくるのは、都留先生の『公害の政治経済学』。まったく隙のない論理展開に再び触れ、研究書とはかくあるべきということを確認。

追記
小生は現在D論を書いておりますが、同時並行的に関心を持っているのは資源・一次産品とグローバリゼーションの関係であります。

資源ナショナリズムの根源は次の三点に要約される。
第一には、開発途上国では、1960年代の先進国依拠による発展路線が破綻したのち、南北問題の悪化とともに「経済的独立」の志向が増大していること。その意味では「資源ナショナリズム」の本質は、実は南北問題にほかならず、それは、開発途上国全般に高まっている「経済ナショナリズム」の一環である。
第二には、先進工業国での経済的に採掘可能な資源の枯渇傾向とともに開発途上国地域での資源確保競争が激化し、それが資源の売手市場化と生産国の発言権の強化を導いていること。ただしこの売手市場化は、さしあたって現在メジャーが着々と準備しつつあるエネルギー源の石油主体から、原子力主体への転換が実現するだろう1990年前後までと考えられる。しかし、このような資源の売手市場化により、生産国側はその結束とともに資源価格をある程度引き上げる条件をつくり出している。ただしそれは南側の交易条件の悪化に対応しており、資源価格はけっして根本的に安定してはいない。
第三に、以上の二条件の結果として、開発途上国の間には国際的な調和的発展の具体的方策を急速に確立したいとする真剣な要請が増大し、国際的な資源の再分配とそれに見合ったエネルギー・資源の開発途上地域での利用が当面の課題となっていること。この資源配分闘争は当面、開発途上地域の資源を把握している欧米系巨大資本・多国籍企業に対して向けられている。
こうして現在の資源ナショナリズムの急速な展開は、開発途上国の立場を考慮したような新たな国際経済秩序への歩みと密接に関連しているのである。(104-5)

皆さん、良いお年を。