メランコリニスタ

何だが気分がすぐれないが、大学にきてみた。

愛読しているIPEの果樹園におけるIPEの風に、錆付いている私の知的好奇心もとい情熱がむくむくと。
http://www1.doshisha.ac.jp/~yonozuka/ipe_notes_2007/061107note.htm

IPEとして貧困を考える,とはどういうことか? と聞かれました.・・・そう,それだ! どのように答えるべきだったか? 貧困は「所得水準」や「政策」ではなく,その社会のあり方,それを許し,再生し続ける政治経済秩序そのものに由来している,と考えてはどうでしょうか? これほど大きな貧富の差を前提に,私たちは暮らしています.だから,いつもこう問うべきでしょう.

「あなたの言いたいことはわかる.しかし,<貧困>はどうなのだ? おびただしい貧困があるのに,あなたはそれに答えなくて良いのか? 極端な貧困を前提とする既存の<秩序>は,その公正さや正義について,強い疑念を抱くべきではないか?」

先日ハーヴェイ『新自由主義』を合評したとき、社会学を専攻しているあの娘は、経済学の人たちの議論するポイントは社会学のそれと違う、のようなことを話していた。そう、経済学は死んでいる数字に、説明という命を吹き込んでやることを得意とする。このアプローチの意義は疑いなく大きい。

だが国際政治経済学徒としての私は、社会学的な問いを大切にしたい。そう、もっと社会を構想してよいのだと。私たちはこんな社会に住みたいのだと。